監督・脚本:S・S・ラージャマウリ
配給:ツイン
※このコラムは『バーフバリシリーズ』のネタバレが含まれております。
『バーフバリ』とは、S・S・ラージャマウリ監督によるインドの歴代興行収入最高額を記録した有名な映画である。二部構成で作られた叙事詩的映画であり、2015年に第1部である『伝説誕生』、2017年に第2部である『王の凱旋』が公開された。
この作品は、父と子のふたつの視点から描かれた、王にまつわる物語である。
当コラムでは、『バーフバリ』シリーズの好きな点について、大まかに記させていただく。
曲と映像
自然や生き物、キャラクターの衣装が色鮮やかだがくどくない。インドの織物や花、シヴドゥがアヴァンティカに入れるタトゥーなど、とにかく色彩が美しいのである。
また、『バーフバリ』は曲も良い。耳に残り、言語がわからずとも思わず口ずさんでしまうような魅力があるのだ。特に第1部の主人公・シヴドゥとヒロイン・アヴァンティカの『Pacha Bottasi』という恋愛のデュエットソングでは文学的で情緒のある歌詞に、甘い歌声のアヴァンティカとそんな彼女にくびったけなシヴドゥの様子が声色でわかるように歌われている。
第2部の主人公で、シヴドゥの父であるバーフバリを称える『SAAHORE BAAHUBALI』では、バーフバリという人間がいかに勇敢で王の器を持っているかを力強い歌詞と歌声で表している。
ストーリー内でも映像の美しさや臨場感はあるが、曲が流れている際はそれがさらに際立っており、観客の心を強く掴むひとつの要因になっているのだ。
役者の演技分け
主人公であるシヴドゥとバーフバリは、主にトリウッド(テルグ語映画)で活躍しているプラバースという役者が一人二役で演じている。バーフバリという勇者であり王の魂を継いでいるということを暗に示す為にこの配役がなされたのだろう。
二人は親子であるが、そもそも生まれ育った境遇が全く違う。シヴドゥはとある所以から庶民として育ち、バーフバリは生まれも育ちも王族である。育てられ方がまず違うため、シヴドゥは庶民らしいとっつきやすさがあり、村の中でも変人のように扱われながらも愛され尊敬されている。だがバーフバリは、庶民への優しさや尊敬は忘れることなく常に下々の民のことも考えながら生きてはいるが、丁寧な所作や滲み出る王族としての雰囲気や品があるのだ。同じ役者だというのに『シヴドゥ』と『バーフバリ』だとまとっている雰囲気が全く異なるのである。
また、それはアヴァンティカを演じるタマンナーもそうであると言えるだろう。最初に彼女が登場した際は、シヴドゥの幻想として現れた。彼の理想の天女のような姿で甘く歌いながらシヴドゥを導き、癒しながらも翻弄する。だが実際の彼女は誇り高き兵士であり、剣技に優れ、敵をまっすぐ見つめながら殺すことのできる強さを持っている。天女と兵士という極端な存在の演じ分けには感服する。
恋愛描写
先ほど挙げた『Pacha Bottasi』では、シヴドゥとアヴァンティカが一時の青春、甘い恋の時間を共にする曲なのだが、二人とも数回ほど衣装が変わる。色味や小物を合わせた、いわゆるシミラールックで歌い、踊り、愛を語り合うのだ。
また、これは第2部のヒロインでシヴドゥの母であるデーヴァセーナも同じだ。夫のバーフバリと共にシミラールックで登場することが多く、デーヴァセーナがマヒシュマティへ嫁いだ後に何度も衣装が変わったが、すべてをシミラールックで固めていた。
これは個人的な意見だが、このシミラールックとは心を通わせている男女を表すのにもってこいの表現だと思っている。実際に漫画などでも、想いを寄せ合う恋人同士の服がシミラールックになっていたり、逆に恋人同士でも心がない場合は全く違う色の服を着ていたりと、服の色とは恋人同士の『心の関係性』を表しているのだと思う。ただ愛を語らうだけではない、言外でも想い合っているのだということを表されているのがとても素敵だ。
少し話が脱線するが、『Pacha Bottasi』の歌詞の中にはアヴァンティカがシヴドゥを「いたずら好きな恋人」と歌うシーンがある。勝手にタトゥーを入れた男を「いたずら好き」で済ませるアヴァンティカの心、あまりにも広すぎやしないだろうか。
親子愛
『バーフバリ』には、親から子への想いが血と共に強く受け継がれているのが色濃く描写されている。それと同時に、子から親への強い想いも描かれているのだ。
例えば、冒頭部分、シヴドゥの養母サンガが1000回以上にわたって御神体に水をかける願掛けの儀式を行うシーンがある。それを見たシヴドゥが「俺が代わりにやる」「俺が母さんを川まで運ぶ」と言い、最終的には御神体を滝の真下まで運んで「未来永劫水が注がれ続ける」と笑った。母の願いのために自分ができる最大のことを行う姿は、とても親想いなキャラクターだと言えるだろう。
また、シヴドゥがデーヴァセーナを助け出した際に、前述とはまた違う親子の絆が描かれていた。罠にかけられてしまったシヴドゥが目を覚ますと、悪王バラーラデーヴァの息子バドラがデーヴァセーナを虐げているのを目にして激昂する。勢い任せにバドラを殺害し、その後、バーフバリの側近だったカッタッパに「初めて会った女の涙を見て心が痛んだ」と語った。これは、本当の母であるデーヴァセーナとの見えない絆がありありと描かれているシーンだ。
バーフバリとカッタッパもまた親子愛と言えるだろう。王子と従者という関係ではあるが、バーフバリはカッタッパを「私の父のようなもの」と言い、それ以外でも「おじ上」と呼び慕っている。
そして、『バーフバリ』において語るべき親子愛と言えば、やはりシヴァガミとバーフバリの関係だろう。血縁上は本当の親子ではない(バーフバリは前王と前王妃の子。なので厳密にはシヴァガミとは伯母と甥の関係である)が、バーフバリはシヴァガミを何よりも尊重し、慕い、時には子として甘えることもある。途中でバラーラデーヴァの策略により険悪になり、バーフバリは王宮を追われてしまうが、バーフバリは「いつでも母上のために駆けつけます」と言い残し、シヴァガミもバーフバリを案じ、想っていた。
このように、バーフバリは恋愛も友愛も親子愛も、全てが色濃く描かれているのも美点のひとつだと思う。
予想の範疇を超えた派手なアクション・ストーリー
2022年に公開された同監督の映画『RRR』などを見るとおり、S・S・ラージャマウリ監督というのは派手なアクションや精巧なCGを用いることを好んでいるのがよく伝わってくる。それに加えて予想を軽く超えるストーリーや人間離れのアクションが多い。とにかく「自分が表現したいもの/観客に見せたいものをたくさん出す」という強い気概を感じるのである。
シヴドゥが雲の上まで続いている滝を登るシーンや、雪山で起きた雪崩から逃れるシーン、バラーラデーヴァの黄金像を支えたシーンなど、主人公の圧倒的なフィジカルの強さを感じられる。
そしてバーフバリが戦の際に布を用いた戦法を編み出したり、シヴドゥがマヒシュマティに乗り込む際にヤシの木を用いて人間弾丸を作るなど、観客が「そうくる!?」と驚く展開が続く。その勢いに観客は呑まれ、気付いたら見入ってしまうのだ。これは映像ならではの強みだと思う。
何よりも、前述したとおり監督の「好き」が詰まっているのだ。王道ストーリーなのに、良い意味で商業的でなく感じられるのは、監督が楽しんで映画を撮っているからだろう。
近年、インド映画が日本によく進出してくるのを見かける。きっかけとなったであろう『RRR』はもちろん、それ以前に公開された『ムトゥ 踊るマハラジャ(日本公開:1998年)』『きっと、うまくいく(日本公開:2010年、2013年)』なども有名だ。
私の観た作品だと、『ランガスタラム』『K.G.F』などもそのブームの中で日本にやってきた作品である。特に後者の『K.G.F』は、ラージャマウリ監督が大絶賛したためか現在インドにおいて最も興行収入を獲得した映画となった(後編では冒頭でスペシャルサンクスとしてラージャマウリ監督の名前が載っている)。
神話を絡めた話も多いため、インドの神話や『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』などの叙事詩などを知っているともっと楽しめる。
今後もインド映画への期待はますます膨らんでいくばかりだ。
Text:3年 中村 倫
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