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童話

F interview​ 05

​“子どもたちの目線”に応える

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(撮影・鈴木敦)

​絵本作家・なかや みわ

その愛くるしく魅力的な登場人物を描いた絵本作品は、今なお子どもたちや保護者の方たちに絶大な支持を受けている。ラジオインタビューや企業とのグッズコラボレーションなど、絵本の枠を飛び越えた活動も精力的に行っている絵本作家、なかやみわ先生にお話を伺った。

 

PROFILE

 

埼玉県生まれ(1971年〜)。

女子美術短期大学造形科グラフィックデザイン教室卒業。

企業のデザイナーを経て、絵本作家になる。主な絵本に 『そらまめくん』シリーズ(福音館書店・小学館)、『くれよんのくろくん』シリーズ(童心社)、『どんぐりむら』シリーズ(Gakken)、『やさいのがっこう』シリーズ(白泉社)、『たんぽぽのちいさい たねこちゃん』(Gakken)など多数。

「なかや みわのえほんのとびら ホームページ」

https://ehonkoubousoramame.com/

なかやみわ先生の作品は詳細なディテールを表現していることで評判が高いが

そのように取り組めるわけは

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      『そらまめくんのベッド』(福音館書店)

 

 私は植物をテーマにした絵本をたくさん描いてきましたが、元々植物に興味があったり詳しかったりするわけではないのです。

 取り上げたお話のテーマが子どもたちの身近な植物だったので、自然とそうなっただけなのですが、絵本を読む子どもたちは絵の一枚一枚をとてもよく見ているので、『そらまめくん』の中に描かれている雑草一つをとっても質問が来てしまいます。

 たとえば、私は「カタバミ」という小さくて黄色い花をよく描きます。「カタバミ」の花びらの枚数は5枚なのですが、うっかり4枚に描いてしまったことがあり、子どもたちから「なんで花びらが4枚のものと、5枚のものがあるんですか?」といった、素朴な疑問が編集部宛てに来てしまいました。

 図鑑で確認したつもりで間違えたまま描き進めてしまい、編集部で監修してもらったときも、誰もその変な植物には気がつきませんでした。

 子どもたちは本物の草花と見比べて、「なんでそらまめくんの絵本の花びらは4枚のものがあるんだろう?」と思って質問してきます。私よりも子どもたちの方が、ずっとよく見て知っていたりします。

 そうした子どもたちの鋭い視点がはっきり言って怖いですし、プレッシャーとなっています。だから、「嘘を描いてはいけない」「変なものを描いてはいけない」という背筋が伸びる思いでいつも描いています。

 そのために実際に豆類を栽培して育てたこともありました。双葉から蔓になって……という過程も、図鑑で見るだけでは実感は湧きません。しっかり自分の目で確かめないと詳細は掴めないのです。

 とても面倒なことではありますが、子どもたちにはきちんと描いて見せたいという思いがあります。

 以前、前半のページで描いていたものを、後半で忘れてしまったというミスもありました。『そらまめくんのベッド』は単行本で発行する前に、月刊誌の絵本として幼稚園などに配本されたのですが、実は作中で登場するグリーンピースの兄弟の数が、前半と後半で数が合わなくなっていたのです。

 私も編集部もそのことをまったく見落としていて、それを子どもたちから指摘されたおかげで、単行本にする際に修正が間に合いました。

​ 子どもたちの「なんで?なんで?」という怒涛の質問攻めには恐怖を覚えることすらありますが、裏を返せば細かいところまで丹念に見てくれているわけで、とてもありがたい気持ちです。

 ですから、絵本を描くときは「隅々まで気を抜かずに描く」ということをモットーにしています。

現代の仕事環境の変化についてどのように考えているか

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『どんぐりむらのおまわりさん』(Gakken)

 私が『どんぐりむら』シリーズを描いてから2023年で13年目になります。シリーズを描き始めてから10年以上経ち、世の中の働き方はすっかり変わってしまいました。

 『どんぐりむら』の作品を最初に描き始めたときは、まだ昭和のブラックな香りが残っていたので、具体的なことを言うと『どんぐりえん』では先生たちが毎日残業して園の行事の仕事をしていたり、『おまわりさん』の見返しのキャラクター紹介では「24時間はたらく男」と記述したりしていました(笑)。

 私がちょうど社会に出たのが1992年のバブルが崩壊した直後であり、その頃はみんながみんなモーレツ社員な感じで、残業するのが当たり前な世の中でした。

 私も会社員時代はかなりハードに働いていましたが、当時はそれが普通の感覚で、今ほどネガティブなイメージはなかったのです。『どんぐりむら』の3作目を出した時期から「働き方改革」が世の中で言われ、残業は生産性が悪いというネガティブな印象に変わりました。

 

 世の中がこのように変わってきたので、編集部と相談して『おまわりさん』の紹介の「24時間はたらく男」というフレーズを削除して、今の時代に合わせるようにしました。

 ですから時代に合わせたかたちで、今後働くということを子どもたちにどのように伝え、表現していったらいいのかを、ずっと考えています。でも、その答えは未だに出ていません。

 そんなこともあり、2017年から『どんぐりむら』シリーズの新刊は出せていません。

 

 仕事のイメージに対しては確かに隔たりを感じます。ただ、子どもたちには純粋に仕事というのはお金を稼ぐことだけではなく、働く楽しさ、そして自分が働いて何かやったことに対して感謝されて、やってよかったという達成感など、ポジティブなイメージで捉えてほしいです。

 そして、子どもたちはいろいろな職業に対して興味を持っていると思うので、仕事の楽しさを上手に伝えていける作品が作れたらいいなと思っています。でも描写があまりにも現実社会と離れてしまっていると、ふわふわとした夢物語みたいになってしまいます。

 そうした隔たりは上手に埋められるようにしたいです。

ヴィーガンやベジタリアンなどの非肉食思想で論争が起こることもあるが

そうした思想の違いについてどのように考えているか

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『やさいのがっこう とまとちゃんのたびだち』(白泉社)

 『やさいのがっこう』シリーズは確かに辛口のコメントがくることがあります。彼らから言わせると「野菜たちがせっかく学校を卒業して立派になったのに、それを食べてしまうなんて酷いではないか」とのことです。

 でも世の中に出回る野菜というのは、そもそも美味しく食べられるために生産されます。そして、食べたあとにはその人の栄養になるわけです。言いかえれば、その野菜は体のどこかの細胞の一片になって生きている、というような意味かもしれません。

 ですから「野菜がかわいそう」と言った感情は、私には少々理解できないものがあります。

 命をいただくという点で考えると、どの生き物も誰かの命をいただいて自分の命が生き長らえるのですから、人間だけが「これは可哀想だから食べてはいけない」とか「これは可哀想ではないからいいんだ」と勝手に決めるのはおこがましいと思うのです。

 命をいただいて生き長らえているからこそ、命を繋いでくれる食べ物たちに感謝しなくてはいけない。

 感謝の気持ちがあればそれでいいのではと思います。

 

 ヴィーガンの思想の人は「そう言われても私にとっては無理です」と宣うのなら別にそれで構わないし、無理に食べなくてもいいと思います。

 お互い無理強いをせず、ケチをつけず、個人の思想を尊重すれば良いだけだと思います。


 

問題から逃げ出したくなったり目を背けたくなったりしてしまったときに

周囲の人たちはどう接してあげればいいのか

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『モルモットのちゃもとけだまーず』(金の星社)

 これは本当にケース・バイ・ケースだと思います。別に逃げたいときは逃げていいと思います。

 本当に逃げてはいけないときというのは、自分の命に危険があるとき、そのことで人生が大きく変わってしまうときだと思います。

 ただ、いくら逃げても逃げ切れるものではない大きな問題や、将来に関わるターニング・ポイントになるときは、逃げずに壁を乗り越えないと先へ進めませんから、そこはしっかり見極めてほしいです。

 

 それ以外は、あまり思いつめなくても良いのではないでしょうか? たとえ8月の最後に宿題が終わらなくたって、人生が大きく変わるということはないのですから。

 私がこんなことを言ったら失礼かもしれないですが、人生を揺さぶるようなこと以外は、ゆるく生きるのもありだと思うのです。全てに力を入れていると疲れてしまいますから、ここだけは絶対譲らない、ここだけは頑張るぞ、と自分が見据えるターニング・ポイントだけ逃げずに頑張れば良いと思います。

 

 だからと言っていつも逃げてばかりいると、どうしても楽な方に行ってしまいます。人間は安きに流れるというか、そっちの方が楽だからと適当に理由をつけてサボります。

 特に小さい子どものときから安きに流れて習慣化してしまうと、目の前の問題から逃げる癖がついてしまうのでよくありません。逃げる逃げないは別にして、自分なりに一生懸命やってみることが大切だと思います。

なかや先生の子育ての経験も含めて

今の親子のみなさんに伝えたいメッセージは

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『たんぽぽのちいさい たねこちゃん』(Gakken)

 私も子どもに失敗させたくない、余裕がない保護者のひとりでした。

 子育てが一段落した今、冷静に思うと、子どもに失敗させたくないという気持ちは、子どものためを思ってというよりも、自分が辛くなりたくないからという気持ちが大きかったようにも思えます。

 子どものためと思って伝えていたことも、いや違う、これは自分のために言っていたのだと、自分が苦労したくなくて、自分が最後に泣きを見たくないから、子どもにあれやこれやと口うるさく言ってしまったなぁと、今更ながら気がつきました。

 恐らく世の中の保護者のみなさんも私と同じような気持ちになったことがあると思います。

 

 そこで私がいまだからこそ言えるメッセージは、小さい子どものうちに、いっぱい失敗をさせて「免疫」をつけてほしいということです。

 小さい子どものときの失敗は、いくらでもやり直しがききますし、むしろ良い経験になります。失敗を経験して、失敗から学習し、成長できるのです。失敗の繰り返しから子どもたちは学び、次第に自ら失敗を上手に回避できる技を身に着け、大人になっていくのだと思います。

 ましてや小学生くらいまでの失敗なら、頭を抱えるようなことにはほとんどならないと思いますから、安心して失敗させてほしいです。

 

 失敗した経験を積んでいくなかで、人の痛みに共感し、人に寄り添える気持ちも育まれると思います。

 挫折を知らない人より、挫折を知って乗り越えた人のほうが、人間的に優しく強い人になれると思います。

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